| 山口 |
いつも撮る側でいらっしゃるけれど、先ほどの撮影で撮られる側にまわられていかがでしたか。 |
| 下村 |
すごく緊張しました。 |
| 山口 |
緊張されていたのね。子供みたいによく動く、と由利子さんがおっしゃってました(笑)。きっと子供の気持ちも持ってらっしゃるんですね。 |
| 下村 |
でもあからさまにポーズをつけたり嘘をついていると、撮ってくださらない。それは思いました。押し切ろうかと思ったけれど、たぶん負けるな、と(笑)。
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| 山口 |
ポーズも……作っているわけじゃないんですよね。ふだんからポージングされているわけで。 |
| 下村 |
たぶん乗り移っちゃう系なんだと思います。小夜子さんを撮影するときも、ぼくは小夜子さんになっちゃうでしょう。
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| 山口 |
じゃ、セルジュ・リュタンスの小夜子さんやって(笑)。 |
| 下村 |
(ポーズ) |
| 山口 |
というふうに、すぐできてしまうんですよね(笑)。セルジュ・リュタンスもそういうところがあるんです。まず自分自身がポーズを考えて、指先の置き方まで具体的な指示を出せる。自分のやりたい世界がまずあって、モデルさん以上にきちんと形を自分で作れるカメラマンというのは、セルジュとカズさんくらいだと思います。 |
| 下村 |
……もう一回言ってください・・・ |
| 山口 |
(笑)。セルジュとカズさん。 |
| 下村 |
自分の中に蓄積した男性像でも女性像でも、それが前まではあまりにもありすぎて「こうしてください」というのが強かったんです。
ただ、ぼくも年を経てきて、モデルさんからももらえるようになりました。小夜子さんからももらうし。セルジュ・リュタンスも小夜子さんがちょっと別のことを考えているとシャッターを切らない、とおっしゃっていたじゃないですか。ふっと入った瞬間にシャッターを切る、というような。それはたぶん彼も小夜子さんからもらっているんだと思うんです。
前は一枚の絵を作りたいがために押しつけていたところもあったけれど、でもそれだけだとマスタベーションに近い感じになってしまうから。今はいい意味でコミュニケーションがとれるようになったと思います。それが楽しいですね。。
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| 山口 |
カメラを構えたときのカズさんは、すごいですね。火が飛び出ているよう。撮っているときの集中力と、それ以外のリラックスしているときのギャップが激しくて、別人に見えます。それも演じている? |
| 下村 |
あ、撮影中に演技はしていないです。
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| 山口 |
そのときは被写体と自分の中で観ている映像との対話だけになるんですね。撮影中のカズさんは、ほんとうに男らしい。絶対的な瞬間を踏ん切りよくバンっと切る。最近、ムーヴィも撮られたんですよね。 |
| 下村 |
映画少年だった頃の気持ちが戻ってきて。プロモーション・ヴィデオを撮りました。ケネス・アンガーがテーマなんですよ。 |
| 山口 |
今、パリにお住まいですけれど、どうしてパリに行かれたんですか。 |
| 下村 |
ぼくは日本が大好きなんです。とにかくすごいナショナリストだと思うんです。右翼とかそういうものではないんですけれど。
日本が大好きで、でも、日本に住んでいたらぼくの好きな日本はないな、と失望しちゃったんですよね。フランスにはジャポネスクという文化があるんですけれど、それを求めてパリに行ったんです。
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| 山口 |
それでパリに渡って求めていた日本はありましたか。 |
| 下村 |
……ありましたね。パリという都市ではなく、フランス人の中にありました。単純に言うと、文化を愛する心、美を敬愛する心があった。
それと同時に、アメリカナイズ……アベレージニズムとぼくは呼んでいるんですけれど、文化を平均化し画一化してしまうそれは結局日本だけの現象じゃなくて、世界的な現象だということもわかった。日本だけでなく、どこでも起こりうることなのだ、と安心したんです。
それで、ぼくの求めていた日本は、現実世界のどこにもなかったけれど、人の心の中にはあった、ということを学んだときに、「あ、自分自身であればいいんだ」ということがやっとわかった。見あたらない、ということをシチュエーションのせいにしていただけかもしれないし。そこで、自分が好きであればいいじゃない、とアイデンティティを作ったんです。 |
| 山口 |
だからどこにいてもいいんだ、ということもあるわけですよね。また日本にもどるかもしれない、とおっしゃっていましたけれど。 |
| 下村 |
来年くらいに帰ってこようかと思っています。
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