●words from SAYOKO
●第一章 金属打楽器との出会い
●第二章 金属の響きへと導かれた2つの経験
●第三章 山梨の八ヶ岳山麓で
●第四章 生命が生命であるということ
●第五章 モンゴル仏教とシャーマニスム
 
第四章 生命が生命であるということ

山口 1月10日に新しいアルバム『イリュミナシオン/冥王星』が出ましたが、何枚目になりますか。
長屋 ソロ・アルバムとしては6枚目ですね。
山口 ジャケットの馬の写真、あれカッコイイですね。
長屋 かっこいいでしょう。20代の頃に遊びでカナダをふらふらしていたんですが、そのときに知り合いになった家族がいて、よくしてもらって。あれはそのときにもらったフロンティア時代の野生馬の写真なんです。
山口 どんなコンセプトで作られたアルバムですか。
長屋 このアルバムを作るときに「生命」ということを考えていたんですよ。ジャケットにした野生の馬も生命力の象徴なんですけれど。

冥王星って太陽系のいちばん外側を回っているんだけど、あの惑星はちょっと変なんですよ。公転軌道が安定していずに、一つ内側の海王星の軌道を横切ったりする。

科学者はその軌道のズレを誤差と捉えて、本来冥王星はちゃんと回るはずなんだけれど、彼らは誤差を含んでいるからと説明する。でもその冥王星の姿というのは、違う捉え方もできるとぼくは思うんです。

太陽の引力との関係で惑星の軌道は生まれるわけでしょう。冥王星というのは、太陽が引っ張る力に逆らい逃走しようとする姿、太陽の引力と闘争する仕方、と捉えることもできるんじゃないかと。闘争に勝ったり負けたり、それで軌道が揺れたりブレたりすると思うんですよ。バリの神話を語るバロンダンスでは、魔女とバロンが永遠の戦いをしますが、それと同じように引っ張り合いながら闘争する。冥王星の姿を太陽との闘争だと捉えると、これは面白い、と思ったんです。

それで、太陽が宗教や社会制度において何かを管理していく力の象徴だとすると、冥王星はそこから逃れて生命がただ生命であろうとする力、というのかな。

たとえば自分より上にある天界や神秘的なものがあって、そこから見下げられる自分、神のためにある自分、というのが古いスピリチュアリズムだとすると、そうではなく生命がただ生命であるということ。それが新しいスピリチュアリズムではないかと。

そういういろんなことを考えながら、作っていたんですよ。

山口 どんな音で構成されているのでしょうか。
長屋 使った楽器はこれまで通り、金属系が半分くらいで。今回はあとの半分にエレクトリック・ギターやシンセサイザーが入っています。バリの音楽を使ってみたり、いろいろやっちゃたな、という感じかな。
山口 これからやっていきたいことはありますか。
長屋 先ほども言いましたけど、今の形の演奏を始めたとき、自分の感受性ーー日本人あるいは極東アジアに住んでいる感受性をずっと掘り下げようと思ったんです。そうすると違うものが見えてくるんじゃないか、と。

それはそれでずっとやってきて、これからも続けていくと思うんです。ただ、ぼくらの身体や心というのは、やはり明治以降の中、戦後の文化の中で作られてきたものなんですよね。それを今まで意図的に無視して作ってきたんですが、もう1回見直してみたいというのはあります。

……ぼくは若い頃に、作家になりたいと思って、20代の頃に一生懸命小説を書いていたんです。結局はなれなかったんですが、小説と音楽というのは似ているところがあるんです。

結局、小説って明治以降の産物なんですよ。翻訳から始まっているんですよね。それ以前の物語の世界というのは今昔物語や雨月物語などがありますけど。30歳になるまでそうした古い物語を読んだことがなくて「これはまずい」と思い、30歳過ぎてから読み始めたんですよ。

その体験と、音楽において自分の感受性を掘り下げようとしていることがパラレルに感じるんです。

山口 文藝春秋文学界新人賞佳作を受賞されたんですよね。そのときに中上健次さんが好評されたと伺っています。
長屋 中上健次さんが選考委員で、とても褒めてくださって。ぼくは18歳まで小説や本をロクに読んだことがなくて、中上健次さんに影 響されて書き始めたんです。初めて読んだ小説が『枯木灘』で、読んでぶっとびました。

直接お目にかかることはなかったんですが、接点を持てたのは嬉しかったですね。書くというのもこれからやっていきたいことの一つです。



    
 



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