●words from SAYOKO
●第一章 金属打楽器との出会い
●第二章 金属の響きへと導かれた2つの経験
●第三章 山梨の八ヶ岳山麓で
●第四章 生命が生命であるということ
●第五章 モンゴル仏教とシャーマニスム
 
第一章 金属打楽器との出会い

山口 いつ頃から音楽を志されたのですか。
長屋 ぼく、小学校3年生くらいのときから、エレキ・ギターを弾いていたんですよ。友だちのお兄さんの影響で。
山口 じゃ小学生でロックを弾いていた。その頃お好きだったのは?
長屋 いちばん好きだったのはデビッド・ボウイ。あとはばらばらで、オールマン・ブラザーズ・バンドやグラム・ロックとか。それからすぐにパンク・ロックが始まるわけなんですけれど、そこで「これはカッコいいな」と。ピストルズやラモーンズ、パティ・スミス、あとはジョニー・サンダースとかNYのパンク・ロック系にはまりました。
山口 じゃあ長屋さんはもともとパンク・ロッカーだったんですね。演奏するものもパーカッションじゃなくてエレキ・ギターで。バンドも組んでました?
長屋 高校に入ってからやりました。大学の22歳まではやってたかな。でもそれから29歳のときまで音楽から離れて小説を書いていたんです。

けれど結局、小さい頃から音楽はやってきたから、なんか触ってしまうんですよ。それで友だちが当時のカセット・テープのマルチ・トラックを貸してくれて、これをどうやって使おうかと考えていたら、自然に手が動いてしまって。今度はサックスのプレイヤーと2人でテープ・ミュージックを始めたんです。

テープ・ミュージックは音響音楽というのかな、ぼくたちはテープ、テープと呼んでいたんだけど。いろんな素材を組み合わせていく音楽があるんです。たとえばFAXのピーピーという音や洗濯機の音、そういういろんな音を素材にして、ギターの音と組み合わせたり。環境音によるノイズ・ミュージックですね。たぶんアヴァンギャルドの範疇に入ると思うんだけど。

山口 そこから今のスタイルに向かわれたきっかけは。
長屋 嫌になってしまったんですよ。コンプレックスというのかな。テープも一緒にやっていた友人がカナダに出したりしたんだけれど、やはりああいう音楽は白人のものであって、彼らは自然に振る舞って自然にできてしまうんですよ。でもぼくはアジア人だから、彼らの土俵に塩を撒いて上がるような気負いがある。彼らは自然なんだけれど、ぼくは力を入れなければ上がれない。最初から土台が違うんだ、ということに気づいてしまって。

だからわざわざ相手の土俵に乗るのではなく、もっと別のものが作れないかと思ったんです。だってぼくはアジア人だから。ぼくらの持っている感受性の源泉があるんじゃないか、そこに触れながら音楽を作れないか、と思ったんです。それで使う楽器もまったく変えてしまったんです。

山口 そうして金属の音と出会われた。
長屋 日本の仏壇の鈴(りん)を使ってみようと思ったんです。家の実家に仏壇があって、あの鈴(りん)の音を聴いて、「あれ? 面白いな」と思って。誰も音楽とは思っていないんだけれど、よく聴くと綺麗な音色ですよね。

お袋が手を合わせて仏壇を拝むときに、チンチンと鳴らす。その所作は祖母から学んだことだと思うんです。その祖母もまた曾祖母から学んで、そうして脈々と続いてきたことで、改めて学ぶというより日常の中での振る舞いとして自然に身に付いたものであって。

そうした日常の中に潜んでる感受性ってぼくはあると思うんですよ。その感受性は振る舞いとともに受け継がれてきたもので、無意識に潜んでいて持ち続けているものではないかと。

その日常の中で無意識にやっていることを、ぼくは意識的に学んだようなところがあって、そこに乗せてみようと思ったんです。音楽として捉えて、何か作ることができるのではないかと。

山口 では日常の中で出会われた音だったんですね。
長屋 鈴(りん)もそうですけれど、台所のサラダボウルとか。あれ、結構、いい音がするんですよね。サラダボウルを洗っていて何かにカンと触れるでしょう。これもいけるんじゃないか、とかっぱ橋でたくさん買い込んだり。ただ……ライブでは使えませんけどね。みかけがカッコ悪すぎて(笑)。
山口 構成次第でカッコイイかもしれない。アクリルの台か何かに載せたりすれば。それで鈴(りん)を楽器として叩いたのは?
長屋 鈴(りん)をちゃんと叩いたのは仏具屋に行ってですね。そこでたくさん叩いてみて。あれ、音階があるんです。サラダ・ボウルはかっぱ橋の調理道具を扱っている店のオヤジに「ちょっと叩いてみたいんだけど」と叩かせてもらったり。


    
 



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