●words from SAYOKO
●第一章 プレスリーを点描で描く小学生
●第二章 パソコンと出会いデジタル・コラージュへ
●第三章 隙間、亀裂、ひび、塵の美しさ
●第四章 蓄音機でDJ
●第五章 デジタルとアナログの間
 
第一章 プレスリーを点描で描く小学生

山口 いつ頃から作品を作られるようになったんですか。
永戸 人に見せる作品を作り始めたのは7、8年前からで、まだ10年経っていませんね。ただ、作品自体は子供の頃から作っていました。母方の実家が木工所だったんですよ。父方の実家は会計士の家で、子供の頃は両方を行ったり来たりしながら、会計士の家では行儀よくして、木工所でものを作っていましたね。
山口 子供の頃からもの作りがお好きだったんですね。
永戸 木工所には母の弟ーーつまり叔父さんがいて、彼は25歳で亡くなってしまうんですけれど、美術やデザインをやっていたんです。ものすごく早熟で、宗教や科学、美術、工芸デザインみたいなものを、全般的に勉強していたようで。

その人はぼくが5歳のときに亡くなったんですが、幼いながらも「後を継いで美術をやらなくちゃ」という意識が芽生えて。それから木を削って家具を作ったり、絵を描いたり、何かしら作品を作り続けてきました。

山口 学校は美術の学校に進まれたんですか。
永戸 いえ、ふつうの学校です。子供の頃から美術をやっているという意識があるから、改めて美術の学校教育を受けることを始めから否定していたんです。だから高校を卒業するときも美大に進むという選択肢はなくて。通いたいと思ったこともなければ、行ったことも一度もないんです。

高校を出てからアメリカの南フロリダ大学に留学したんですけど、でも1年くらいでドロップ・アウトして。グレイトフル・デッドというサイケデリック・ロックのバンドのあとにずっとついてまわっていたんです。

デッド・ヘッズというおっかけ文化があって、ヒッピー系の人たちがツアーにぞろぞろついてまわるんですけれど、その中に入って。で、学校に行かないからドロップ・アウト。途中でいったん日本に帰ってきて、お金を貯めて今度はNYに行きました。

山口 NYへ行かれた目的は?
永戸 絵か音楽を、というので、バイトや遊び以外の時間は、すべて絵を描くか、音楽を聴くかしていましたね。アクリルや鉛筆で、大きなナイフの絵や、怒った猫の絵ーーそういう変なシンボリックなものを描いていました。
山口 何年くらいNYにいらっしゃったんですか。
永戸 NYには2年ちょっとで、アメリカには留学時代から数えると5年くらいいましたね。

それから日本に帰ってきて、バイトで遺跡の発掘をやりながら、やはり絵を描いたりバンドをやったり。遺跡の発掘というのは、演劇や音楽、絵をやっているタイプの人たちが多いんですよ(笑)。

山口 絵と音楽、常に両方があったんですね。
永戸 どちらかをやりたい、どちらかがものにならないかな、と思っていたので。
山口 音楽はもともとお好きだったんですか。
永戸 木工所の叔父さんも音楽をやっていたり、父もオーディオ・マニアだったので常に音はまわりにありましたね。だからぼくも楽器をいじったり、バンドもやったりしてました。初めてやったのはベース。今は一人でギターをひいたり、もう、特に活動はしていませんけど。

出身が杉並区なんですけど、通っていた小学校が、ふつうにマイケル・シェンカー・グループのTシャツを着てフライングVを持って学校に来る小学生がいるような、ちょっと面白い学校だったんですよ。それでぼくも小学生5,6年生の頃から、洋楽を聴くようになって。

ロックを聴いたり、その頃流行っていたベスト・ヒットUSAで流される曲を聴いたり。中でもエルヴィス・プレスリーがすごく好きで。

山口 小学生でプレスリーを。
永戸 小学校6年生のときだったかな。

ラジオからエルヴィスの曲が流れてき てショックを受けて、次の日さっそく親に頼んでレコードを買ってもらったんですよ。それからエルヴィスの点描をずっと描いていたりとか。親に変わってるわね、と言われました(笑)。

若い頃のを最初に買ってもらって、後期のエルヴィスも聴くようになって。両方好きですね。でも今は後期のエルヴィスがすごく好きです。



    
 



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