松本さんは映像作家、映画監督として60年代から映像表現の可能性を追い求めてこられた方です。今、改めて60〜70年代頃に制作された作品を見ると、松本さんでなければできないフィルムワークの中で、あの時代が活き活きと躍動しキラキラと輝いて目の前に現れます。
『薔薇の葬列』の主人公を探していたときにピーターを一目見た瞬間、その空間全体がぱあっと輝くように明るくなり「あ、これだ」と思った、というお話を伺いました。やはりモノを作るというのは、出会いの集積ーー人もカメラワークも何もかも、輝く瞬間が積み重なって、松本さんの作品になったと感じました。
その独創的な映像表現を、今、20〜30代の映像が好きな若い世代が大きな驚きを持って迎えています。なぜぼくらと同じ感覚がここにあるのか、と。アナログ処理による映像の手触りも含めて、新しいものとして目に映っているのです。
写真にしろ映像にしろ、今はたいがいコンピュータ処理をしてしまいます。今の20〜30代の映像に関わる若い世代と話していると、デジタル処理された結果が一律に同じような表現になってしまうことに対して、このままじゃいけない、と疑問を抱いているように思います。
さらに今、表現の自由は保証されているようでいて、数々の規制の網に絡め取られ、毒やトゲのある作品が世に出にくい状況が続いています。そこでやりたいことができずに、真綿で首を絞められるような息苦しさを感じているようにも感じます。
そうしたところで、松本さんの作品にある斬新な映像表現に驚きを感じているのでしょう。
しかし、60年代とはいえ何の摩擦もなく受け入れられたわけではありません。海外で高く評価された作品も、日本ではその表現のあまりの斬新さに、しばらくマスの世界で次作を制作できない状況に置かれたとも伺っています。
松本さんはそうして戦ってこられた方です。常にエッジに立ちながら映像表現の可能性を追い求め、冒険してこられた松本さん。自分の表現したいことに対して真摯に向き合い、ともなうリスクも真っ向から受ける強い精神が可能性を切り開いてきたのだと思いました。
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